りく君は、本来は自分を守るための免疫が自分自身の体を攻撃してしまうような難しい病気と闘っています。
長い入院とつらい治療を乗り越え、今も週に1回お腹に注射が必要だけど、でも毎日を楽しく過ごしています。
小学生のりく君にはお友達がたくさんいます。
お友達はりく君を、病気のりく君として見るのではなく、お友達が病気と闘っているという目線で見ています。
決して病気の可哀想な子ではない。たまたま友達が病気を抱えていたということ。
このこども達のフラットな目線は、本当に大人が見習うべきものがあると思っています。
多くの大人達は病気であるということに目を向けがちで、そんな時に決まって「リスク」という言葉を考えてしまう。
病名がその子を代表するものではありません。
ついつい、多くの病棟で耳にするあの、「糖尿病の患者さん。」「あの〇〇号のオペ後の患者さん。」
病名ではなく、相手の物語を知ることで、触れ方、関わり方は変わっていくと思います。
特に在宅医療は、自宅に訪問し、飾ってある写真を見て、家族と関わることで、その人の物語を感じることができる環境があります。
その人の物語を知れば、病名で名前を呼ぶことなんで絶対できなくなる。そんなふうに毎日感じています。
初めましての日。
りく君は少し恥ずかしそうな顔をして、大好きなゲームのお話をしてくれました。
そして、お母さんはPLSの落水洋介くん、先天性ミオパチーの会の伊藤亮くんに、親子で憧れていることを教えてくれました。
「障がいを抱えていても、希望が持てるんだ。ということを教えてくれた二人なんです。」カリスマだと。
私は二人とは友人であり、障がいを抱えているということを感じさせない程に、二人ともフランクで、そしてカリスマ性があるなんて本人たちは気が付いていないように思う。ただ、二人の存在が大きな大きな存在として、ひとりのこどもの希望になっていると感じた。
点滴を済ませ、血圧などのバイタルを測定した後に
電話しちゃお!まずは落水洋介に電話をかける。
FaceTimeにつなぐ。
完全オフです。と言った顔で落水洋介くんが登場。カリスマ、、、。
「今ね、りく君転校を勧められてて。でもお友達と一緒に過ごしたいねって何とかしようね。
って話していたところ。洋ちゃんはさ、八児小で講演してたよね?」
りく君のカリスマが、今オフの顔で画面の向こう側にいる。
りく君の目がキラキラしていた。
「八児小の先生達は想いのある先生方が多いから、なんとかなるんじゃない?」
落水洋介くんの言葉にお母さんの表情もふわっと緩んだ。
次は亮ちゃんこと、伊藤亮くん。
亮くんとはオリヒメを北九州で広めるイベントに誘ってもらい、数ヶ月オリヒメの啓発活動に参加させてもらった。
「亮ちゃんのファンに変わります!」
「こんにちは。」 少し緊張した様子で、りく君が話す。
「亮ちゃん、一度りく君に会いに来てよ。」
「ぜひぜひ。りく君が良かったら伺います。」
電話を切った後、りく君とお母さんの目は輝いていた。
困っている家族に第三者が伴走することは、大切なことだと思っている。
お母さんが話してくれる。
「就学相談で、わかってもらえないから、ついつい感情的になってしまっていて。」
「わかります。お母さんたち皆さんはそうおっしゃいます」
母親が感じる想い。
こどもの当たり前の環境を守ってあげたい。
自分のせいでこどもにこんな思いをさせているんじゃないか?
母親はどうしても、誰に何と言われても、どこかそんな思いを抱え続けているように思う。
後日、教育委員会に電話する。
「今の時点でなんとも言えません。」
でたー!行政からの返事ランキング上位の言葉である。
でも話を聴いてくれた。きっとこの人も味方になってくれる。そう思った。
「聴いてくださってありがとうございます。」
それからしつこく、忘れられないうちに何度か電話をした。
人は知らないことには、残酷になれる。
知ると優しくなれる。そんなところがあるように思う。
何度となく会話をして、北九州市の医ケア協議会のメンバーの後押しもあり、
教育委員会でお話をする機会をもらえることとなった。
教育委員会からは「民間のチームからこうやって話を聞くのは初めてです。」と言われたが、
長い時間を取ってわたし達のお話を聞いてくれた。
「りく君は今病気と闘っています。どうか帰る場所をそのまま残してあげてほしい。
退院したその後に、すぐ転校とは何とも酷すぎます。
お友達も八児小の先生方も、りく君が帰ってくることを望んでいると思います。
もうひとつ、オリヒメを小学校で使うことはできないでしょうか?
感染リスクの高い疾患を抱えて通学は困難でも、自宅から授業に参加できませんか?」
「わたし達は多くのこどものプライバシーも守らなければいけません。それは難しいと思ってください。」
「あなたの子どもが同じ状況でも、同じことが言えますか?」
最後の最後で、我慢していた言葉が口に出てしまった。
あれ程までに行政の人たちが貝を閉じないように気をつけていたのに、、
同席してくれていた、にこりの相談支援員の川下に
「友さん、我慢していたけど、思わずあんな嫌味ともとれる言葉を発してしまった。」
落ち込んでいる私に川下が
「いやいや、あれは言って良かった。私が母親ならうれしい。大丈夫。」
帰りの車で川下と夕焼けをながめた。
泣き虫のわたしに川下の言葉は優しく、暖かかった。
成功とは思えないこともたくさんあった。
後悔もした。順調にみえる私たちの活動の裏にはスタッフの想いや優しさがある。
応援してくれている人の優しさがある。
しかし、時間を空けず、嬉しい知らせがあった。
八児小に昇降機が設置されたのだ。
りく君が、その真新しい昇降機に乗った動画を送ってくれた。
教育委員のお二人からのメッセージだと感じた。
「ありがとうございます。」
心の中で感謝の気持ちが溢れていた。
こどもはどんな状況でも教育を受ける権利があるはずだ。
でも、これで満足してはいけない。次はオリヒメでの授業参加である。
後日、亮くんから連絡を受ける。
「僕も教育委員会にオリヒメのお話をしに行ってみました。
八児小の校長先生は賛成してくれているようですし、何らか役に立てればと思いまして。」
その頃、りく君は車椅子サッカーにオリヒメで参加する経験をしていた。
北九州総合療育センターのリハビリ工学技士の中村詩子さんと先天性ミオパチーの会の伊藤亮くんのお母さん、通称はっちーが協力してくれた。
にこりのスタッフが会場に行き、りく君は自宅からオリヒメで車椅子サッカーを初体験した。
なぜサッカーなのか?
それは、りく君のお姉ちゃんはかつて小児がんと闘い、今はサッカーの有名高に通う「ミライ☆モンスター」で
りく君も、病気がなければサッカーをしていたのかもしれない。
サッカーはりく君と家族にとって特別なスポーツだったから、ぜひこれを体験してほしかった。
この企画を提案したとき、りく君やお母さんはすごく喜んでくれた。
「ますます、オリヒメで学校に行きたくなりました。」
伊藤くんの後押しもあり、「校長先生がオリヒメのお話を聞きたいと言ってくれていると。」と連絡を受けた。
伊藤くんにも同席してもらい、オリヒメについて説明する。
その時の伊藤亮くんの言葉が印象的だった。
「僕はオリイ研究所のものでもなく、まわしものでもありません(笑)。
ただひとりのりく君という男の子が、楽しく学校生活を過ごし、病気があっても教育できる環境を整えられたらいいなあと思う。
ただそれだけで僕は今日ここに来ました。」
亮くんはとてもかっこよかった。
そんな大人の姿を、きっとりく君もずっとずっと忘れないと思う。そう思った。
帰り道、電動車椅子に乗り、校庭をゆっくり走り、亮くんは、
「りく君、勉強頑張ってね。」目線の変わらない位置から話しかける。
りく君は少し恥ずかしそうに、嬉しそうにうなずいた。
亮くんだから、亮くんの目線だから、この言葉は力強く、かっこよく感じた。
後日連絡を受ける。
オリヒメで授業に参加できることになったと。
いろいろな人の顔が、浮かんだ。
教育委員会の人、学校の先生、心配していたにこりスタッフ。亮くん。はっちー。詩ちゃん。
そしてりく君。
そしてお母さん。
叶うかなんて、いつもわからない。
でも叶うと思っている。
こども達やお母さんの小さな願い。
叶うと思っている。
お母さんひとりじゃないよ。一緒に考えていきましょう。
わたしがそう言葉にできるのは、
自分自身が、側にいてくれる人に
「大丈夫。一緒に考えよう。」
そう言ってもらえる毎日があるからだと思う。
それを教えてくれるのは、いつだって子ども達だ。
今日のこの日を前を向いて歩こう。