ほっちのロッヂ 1日目
台風が九州に上陸した9月の三連休。その風の強い夜に北九州から出発した。
直前の便までは欠航になったが、なぜか飛ぶような気がしていた。
思いのほか揺れない飛行機に、なんだか少し残念な気持ちになりながら東京に向かう。
そして、翌日軽井沢に。
寒い。
少し前に車に乗った時の外気温が41℃だった自宅での暑さを思い出しながら、ストールを巻いて駅から向かった。
ほっちのロッヂに着く。
澄んだ空気に触れた。
生き生きと伸びる。生きてることはこんなに輝かしいものなんだよと森の木々が語りかけてくる。
そんな木々の間に優しく佇む ほっちのロッジに出会った。
手作りで作られた木の小さな看板に目が留まる。
「ほっちのロッヂ 診療所と大きな台所があるところ」
雨はあがり、街では聴くことができない森の声がする。
児童発達支援を利用していた子どものお母さんが、「誰か来てるよ」とスタッフに声をかけてくれた。
みんなが今から森に出かけられそうな服装で、誰がスタッフなのか、利用している人なのか分からない空間が迎えてくれた。
どこが診療所で、どこが訪問看護ステーションなのか分からない。
まるで大家族のおうちに遊びにきたような空間だった。
ほっちのロッヂが何なのか
よくわからなくても ここに集まる人は
今を楽しんでいる。それだけはわかる気がした。
台所からの 包丁とまな板の刻むリズム音。窓から見える奥のその奥の続く緑の景色。
美味しい匂い。子どもの笑う声。
そんな意識しなくとも五感から伝わる、あたたかさの空間に自分が存在していた。
医療とか、福祉とか、
そんな括りが必要ではなく、ただ心地よいということ。
それが一番大切なものなように、
ほっちのロッヂが語りかけてくるような感じがした。
「いらっしゃーい。」
直接会うのは何年ぶりかあまり覚えていない。思い出そうともしていない。
でも、なんとなく自分と似ている気がして、どれだけ時間を空けてもなんとなく昨日会ったかのような会話になる。
紅谷浩之という人。
医者なのかペンションのオーナーなのか
この家の家人なのか。ここでは紅さんと呼ばれているようだ。
ちゃぶ台を囲んでいろいろな話が盛り上がった。
しばらくして、長身のスラっとした男性が薔薇の花を花瓶にさして、ちゃぶ台の上においてくれた。
白くて、わたしたちは生き生きしているでしょう?と語りかけているような薔薇だった。
「彼はね、ここの医者なんだよ。診療の合間に薔薇を育てているの。」
薔薇を前にして
「いい匂いですね。」 一緒に見学に来た詩子さんが言った。
その瞬間の、良かった。誰かが、目の前のひとが喜んでくれて良かった。
薔薇を育て、みんなの座るちゃぶ台の上にさりげなく飾る目の前の
医師であることに、そうこだわっていないような、そんな彼の姿に自分を重ねた。