ひとりの子どもの存在が大人も成長させる

だいきが、年末におうちに帰ってきた時のことは本当によく覚えている。
パパ似なのか?ママ似なのか? だいきはクルクルとした大きな瞳を持つ、誰が見てもかわいい赤ちゃんだった。

にこりから20分程の距離の実家で過ごす間だけ、にこりが関わるようになった。
待望のおかえりなさいの日。
この日まで病院に通い続けたお母さんはどんな想いを抱いてきたのだろう。

だいきはバクタール連合という病気を抱えている。
心臓に重い病気があり、泣くと酸素飽和度という血中の酸素を示す値は、この病気に関わったことのない看護師が見たら救急車を呼ぶような低い値になる。
けたたましくなるアラームと、だいきの真っ白になる顔色。
そんな中私はだいきをぎゅっと抱っこして、「大丈夫だよ。」と声をかける。
お母さんも穏やかだった。
泣き止むとお母さんはケラケラ笑ってなんのこともない、ただこどもが泣いているから、安心するために抱っこしたら大丈夫。
お母さんとは心強い関わりを退院した日からできた。

おじいちゃん、おばあちゃんは、はじめましての日から冗談を言ってその場を和ませてくれた。
帰り際これどうぞ。
茹でられたにゅうめんと乾燥のだしが入った容器をおばあちゃんに頂いた。
寒い寒い12月の末。車に乗り込む時、外はもう真っ暗で頬に当たる風が冷たい。
自宅に帰り着いてお湯を注ぐ。体が温まるのと同時に心も温かく感じた。

だいきくんはじめまして。これからよろしくね。

そして、大晦日の夕方。16時頃。
訪問を終えて、ゆるりとした洋服に着替え年末の番組を見ていたとき、携帯が鳴った。
だいきのお母さんだった。人工肛門の土台部分が剥がれてしまったと。
「はーい。伺いますね。」
大晦日の夕方、だいきの訪問へ。
おばあちゃんが笑顔で迎えてくれた。
一緒にストマの張り替えをする。大晦日をだいきと一緒に過ごせた。
お母さんは本当にいつも笑顔だった。
だいきの家族はいつも本当にどんなときも笑顔で力強い。

今振り返ると、にこり立ち上げから半年。
まだまだ私もにこりをはじめて半年だった。
がむしゃらだったけど、こども達やお母さんと一緒に過ごした日々を思い出す。
わたし達はサービスを提供する側でありながら、こども達とその家族から笑顔や温かい関わりで救われている。

あの頃のお母さんやこども達との関わりが、今も私の力になっている。そう思う。

だいきのママがお仕事を復帰するとき、にこりデイサービスがスタートした。

にこりのデイサービスは重症心身障害児対応の施設と定義される。
わたしはこの重症心身障害児というネーミングが好きではない。
なんとセンスのない名前なんだろう。名前をつけた人には怒られそうだけど。
ただこの判定が下りなければ、にこりのデイを利用するための受給者証が発行されない。
受給者証がおりなければ行政からお金が支払われない。

その頃のだいきは注入といって鼻からチューブを十二指腸まで入れ、栄養をとっていた。
小さな体と重い心臓の病気を抱え、人工肛門もあっただいきは栄養をとるだけで酸素飽和度が50%台に下がることもあって、看護師が常に側にいることが必要だった。

医療的ケアの程度を評価した重症児スコアというものがあり、その点数の高さで医療が必要な状況が判断される。
だいきのスコアは重症児に相当する。
しかし、香春町役場からは「大島分類によりだいきくんは重症児デイは適応になりません。香春町にはだいきの預かれる保育園やデイはありません。にこりさんが、訪問看護で見ていた責任の上、デイで預かるべきではないですか?」と伝えられた。
なんと、お金は出さないし、にこりでみろということである。

重症心身障がい児を守る会の 等々力さんが、香春町に説明をしに来てくれたこともあった。
だいきくんのような医療依存度の高いこどもの行き場を無くさないように、今は町の采配で可能だと都道府県は判断しています。
にこりは民間業者ですし、断ることができる。もしにこりが断ればだいきくんは行き場はありませんよ。
でも香春町からは「町の采配でひとりを特別にしたらみんなを特別にしないといけません。」との返事だった。

地方と東京との違い。 話はもう通じないと思った。諦めるしかなかった。
「まあさ、こんなことあったんよ。でもそれだから今があるって話せる日がくると思う。
当時香春町こんにゃろーと思った、といつか登壇で笑いながら話せると思ったと語るわ。」
そう話すとスタッフが笑ってくれた。
そうやね。そうやね。うちはだいきの成長を見守らせてもらおう。 そうスタッフと話をした。

もともとだいきの訪問看護は田川の自宅に帰ったら地元の訪問看護が担当する予定だった。
しかし、直前になりだいきくんのような高度な医療ケアが必要なこどもはわたし達には受け入れられません。
…。 そうですか。

そのままにこりが30kmを車で走り毎日訪問することとなった。
土曜日は香春町から小倉南。そして赤間をまたぐ。 休みはなかった。
でもそれで良かった。自分がそうしたかったんだと思う。

そして、だいきはにこりのデイサービスを利用しながらすくすく成長した。
一緒に春は桜を見にいき、夏は海に行って泳いだり
秋は落ち葉で遊んだり、冬はゆきだるまを作ったり、

お友達ができて、なんとか数歩歩き、ちいさな声で 「みなちゃん」と私の名前を呼んでくれるようになった。

肛門をつくる手術。心臓の手術もがんばった。
心臓の手術の前日、おじいちゃんが亡くなった。
おじいちゃんは自分のいのちをだいきにあげたいとお話されていた。
誰よりもだいきの成長を願っていたと思う。
数週間前にこりデイに遊びにきてくれた。
「ありがとうね。」といいながら、いつもみたいに笑顔で冗談を言っていたおじいちゃんの優しい顔が
わたしの記憶のなかに刻まれている。

三歳を迎え、だいきはお兄ちゃんにもなった。

そのころお母さんからきょうだいと同じ保育園に通わせたいとの希望を聞かせてもらった。
そして幼稚園の園長先生は、一緒にだいきが保育園に通えるように考えてみようと言ってくれた。

だいきの保育園入園のためにどうしたらいいか?なにができるのか?

にこりは3号研修の登録機関としての準備を進めた。
3号研修とは、医療従事者以外、例えばヘルパーさんや保育士さんがだいきの必要な医療ケアである経管栄養や痰の吸引ができるように免許をとり、医師の指示のもと、看護師のサポートを受けて医療的ケアの一部ができるようになるための研修である。
研修施設としての登録が終わり、園長先生は3号研修を受講した。
でも、医療従事者ではない先生がこの医療的ケアを担うには不安と先生が話された。
無理もない。わたしが同じ立場ならそう思うかもしれない。

そうなると、次の一手を探す必要があった。それが保育所等訪問支援事業である。

だいきが地域の保育園にいくこと。
地域の保育園はだいきを通園させたいと思っている。
だいきや家族もそれを望んでいる。
ただ、お昼ごはんの時間に経管栄養という医療処置をする看護師がいなければ、だいきは保育園に通うことができない。

にこりはまず保育所等訪問支援事業への登録を急いだ。
つぎに、香春町役場からの受給者証が必要となる。
にこりの相談支援の川下の頑張りで、香春町は全国でも異例の19日(児童発達支援を含むと23日)間の利用日数を許可してくれた。

まあさ、こんなことあったんよ。でもそれだから今があるって話せる日がくると思う。
そんなお話をした日のことを思い出していた。
ひとりのこどもが障害がある、ないに関わらず地域で育つ。
そんな当たり前の社会になればいい。
そんな風に行政と手を取り合うことが大切なのかなと今思う。

だいきは保育園に通い好きな子ができた。
こっそり名前を教えてくれる。
自分でくつを履けるようになった。
歩けるようになった。
走れるようになった。
どんな専門家の関わりよりも、こどもはこどもの中で育つ。

園長先生の優しさ。地域のクリニックの先生の見守り(これは本当におおきな力だと思う)
母の想い、父の想い、地域の優しい目。
ひとりのこどもの成長を見届けることは、大人にも成長の機会を与えてくれる。

「行政は貝よ。つっつくと殻を閉じてしまう。」
一緒にしていきたいんだ。
一緒に考えて欲しいんだ。
それを伝えることで仲間になれること。
それが子どもたちの道をつくることにつながること。

それを教えてくれた北九州市役所の青木さんのことを思い出していた。

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>保育所等訪問支援事業が道をなだらかにしてくれる

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