A Story of
Smiles = Nicori

vol.1 「にこりのはじまり」

にこりのはじまり

「小児の訪問看護ステーションにこり・こどもデイサービスにこり」は、岡垣町という、福岡県でも北の方、海の近くの町にある。住宅街の中の、一見すると普通の家だ。この家には今日も、日常的に医療行為(チューブによる栄養注入やたんの吸引など)を必要とする子どもたちがやってくる。そして、にこりのスタッフたちはこの家から利用者のお宅へ出かけて行く。にこりのメンバーはおもに看護師で、介護福祉士やヘルパー、保育士や助産師などもいる。

「訪問看護」「デイサービス」…言葉を聞いたことはあっても、どういうものかは知らない、そんな人が多いのではないだろうか。「訪問看護」というのは、看護師などが家庭に訪問し、利用者の病気や障がいに応じた健康チェックや医療的なケアなどを行うサービスのこと。対して「デイサービス(=通所介護)」は、デイサービス施設に通ってもらい、日帰りで日常生活のサポートや健康管理などを行う。

「にこり」の特徴は、小児専門、つまり子どもを対象としていることだ。少子高齢化で高齢者向けの介護施設や福祉サービスなどはいたるところで見かけるが、その対象を子どもに絞ると途端に数が少なくなる。にこりができた当時、小児を対象に訪問看護を行うところはほとんどなく、医療的ケアを必要とする子どもたち(=医療的ケア児)が病院を出て、自宅で家族と暮らすことは今よりもずっと難しかった。にこりができたのも、まさに「子どもを看てくれるところがない」と、友人・梢さんが困っている様子を松丸実奈が目の当たりにしたことがきっかけだった。

「梢の赤ちゃんが生まれたって聞いて病院に行ったら、赤ちゃんはNICU(新生児集中治療室)にいていろんなチューブがついてる状態で。脳に障害が残るみたいって。退院後に子どもを看てくれるところが見つからなくて不安そうだった梢に、『私が訪問看護やるよ』って言った。看護師だったしNICUにいたこともあったけど、訪問看護の知識はぜんぜんなかった。だけど、“私にできることはこれしかない!”と思って、始めることにした」

にこりのはじまり

けれど、今思えばにこりを始めた理由はそれだけではなかったかもしれないと松丸は言う。

「NICUで働いてた時にね、500gくらいで生まれて、呼吸が苦しそうになったらみんなで代わる代わる抱っこして泣かせないように…って一年半くらいかけてやっと退院できた赤ちゃんが、家に帰ってすぐ亡くなったことがあったんよ。当時一年目のわたしは“虚しすぎる”と思った。あんだけみんなで必死に退院までもってってこの結果か、って。それでね、“家に帰った時にお母さんを助ける人がおったらこんなことになってなかったんじゃないかな”って思ったん。NICUの先生たちってめちゃくちゃ必死に、どうにか子どもが助かるように、ってやってる。あの時、一年半かけてようやく帰せた赤ちゃんが退院してすぐ亡くなった時、主治医の先生も泣いてた。わたしはあれが忘れられんでにこりをやりよんかもしれん」

にこりには「退院後、長くは生きられない」「脳に反応がないから何も理解できない」「歩けるようにならない」など、さまざまな(ネガティブな)ラベリングをされた子がやってくる。医学的に、データに基づいて判断すればそれは間違いではないのだろう。

「だけどね、すぐ亡くなるって言われて家に帰ってもう二年も家族と暮らしてる子もおるし、何もわからないって言われてるけど接してると明らかに機嫌がいい時悪い時があるし、歩けないだろうって言われてたけど普通に歩いてる子もいる。わたしは、刺激があるかぎり人は成長するって思っとって。まだ医学が追いついてないだけじゃないかなって思うんよね。実際に接してたら子どもたちがそれを教えてくれる。『わからない』『できない』って言われてるのを否定してくれるというか」

子どもたちの中には、抱っこすることにすら医師の許可が必要な子もいる。けれどお母さんが「抱っこしたい」と言えば、にこりはそれを否定せず「どうすればできるか」を考える。たとえ難しくても、効率が悪くても、子どもと家族のやりたいことに寄り添うのがにこりのポリシーだ。

「抱っこが難しい子を抱っこしよう」というのはほんの序の口で、なんとにこりは、医療的ケアが必要な子どもたちを海へ連れて行って一緒に泳いだり、飛行機や新幹線でディズニーランドまで旅行したりしている。一般的に医療的ケア児は、外出や移動自体が困難だとされているにも関わらず、だ。お母さんたちも「海行こう!」と言われて「えっ、行けるの?」と逆に驚いたにちがいない。ディズニーランドに行った帰りの新幹線の中で「次はどこ行きたい?」と聞くと、お母さんが「USJなら余裕で行ける!」とノリノリで答えてくれたことを松丸は嬉しそうに話してくれた。「にこりのお母さんたち、なんでもできると思ってるんじゃないかな」と、どこか誇らしげだ。

松丸が誇らしげに語るのはそれだけではない。「にこりを利用するお母さんたちって“ワッハッハ〜”ってよく笑うんよ。障がい児のいる家庭って一般家庭より離婚率が高いって言われてるんだけど、にこりを利用してる子どもたちの両親は離婚率ゼロ!そしてね、次の子を産みたいって考えてくれる人がほとんど。それはね、医療的ケア児が生まれて“わたしたちずっと家でこの子のお世話をして暮らすんだ”と思ってる親御さんに『お出かけしよう』『一緒にできるよ』って、にこりがお手伝いすることで“お出かけできるんや”っていう、成功体験を重ねてるからかなって思ってる」

にこりのはじまり

もちろん、医療的ケアを必要とする子どもたちに外遊びや遠出をさせることはリスクを伴う。にこりはご家族と相談し、主治医や専門家と連携をとり、あらゆる場面を想定した上で十分な準備を整え、現場に臨んでいる。それでもリスクがゼロになるわけではない。ご家族とともに悩み、壁にぶつかり立ち止まることもある。
しかしにこりは「リスクがあるから」「難しいから」やらない、という判断はしない。

松丸がNICUにいた時に見た光景が、にこりのポリシーに繋がっている。
「その当時はNICUに4歳の子とかがあたりまえにいた時代なんよ。呼吸器が必要だったりして家に帰ることができなくて、NICUで赤ちゃんが並んでる端っこに小児用ベッドを置いてそこに寝てる。NICUって忙しいけ、抱っこされることってあんまりなくてほとんど寝たきりで、お風呂に入れるときだけちょっと持ち上げられるみたいな。今、呼吸器が必要な子たちとすべり台とかで遊びようと、あの子たちのことを思い出して。“救われた子の続きを、道をつくっていかんと”って思うんよね」

にこりはまた、妊娠中から母親をサポートする産前産後の母子支援も行なっている。
「にこりって最初は医療的ケアが必要な子どもたちのために作られたチームやったんよね。だけどある時、障がいがあるとかないとか、医療的ケアがいるいらないとかじゃなくて、育児自体が大変なんだって気づいた。障がいがある子を抱えてても、一緒に子育てしてくれる伴走者がいれば育児は楽しくなる。だけどお母さん一人だったら孤独で苦しくなっちゃう。『ひとりじゃないよ、お母さん』って言ってあげられるような関わりがしたいと思った」

「産後うつ」という言葉はもう珍しくなくなってしまった。妊産婦の死因の一位は自殺だという調査結果があり、そのほとんどは「産後うつ」によるものだと言われている。近くに頼れる人がおらず、夫婦だけで子育てをすることが多くなっている現代で、仕事などのために父親が育児に関われなければ、産後の(万全とは言い難い状態の)母親に身体的・精神的負担が大きくのしかかる。慣れない乳児の世話、夜泣き対応による睡眠不足。一瞬でも気が緩めば赤ちゃんに危険を及ぼすのではという緊張状態が続いて、いつのまにか笑うことも難しくなる。産後の母親がこのような状態になることは、決して珍しいことではない。

「お母さんたちにとってほんとにつらいのは、育児の伴走者がいないことだって思ったんよね。子どもを連れて買い物に行くにしたって、ちょっと見ててくれる人がいたら全然ちがう。子どもと二人きりで、かわいいんだけど息が詰まりそうな生活の中で、30分だけでもお母さんに息抜きできる時間があったらって思う」

にこりのはじまり

にこりをよく知る人はこう言う。
「普通は、制度があってその範囲の中でできることをやると思うんですよ。だけどにこりは制度からはみ出したとしても利用者のニーズに応えていく。そうやっていくうちに、後から制度がついてくるようなこともたくさんあるんです」

たとえば「にこりタクシー」と呼んでいるのは、移動するのにバギー等が必要な子どもの通院・外出の手助けをするサービス。正式には「福祉有償運送」という。にこりは制度が整う以前からこれを提供してきた。
在宅介護を行うご家族に休息をとってもらう「在宅レスパイト」も、制度ができる前からにこりがやってきたサービスだ。ほんの数年前にはなかった「大変な人を支える」制度が、ニーズの高まりに応じて作られ、また現場の声を受けて改善されている。

生まれてきた、救(たす)けられた、子どもたちの道の「続き」をつくる。それもとびきり明るくて楽しい道を。暗いところにいて「先が見えない」と感じている人がいたら、その手をつなぎ、一緒に道を切り拓いていきたい。そんな想いでにこりのスタッフたちは今日も、子どもたちやそのご家族とともに奮闘している。苦しいことがあってもいつの間にか大笑いしている、そんな日々を積み重ねて。

にこりの物語は、これからもずっと続いていく。