A Story of
Smiles = Nicori

vol.4 「りくちゃんと桜」前編

りくちゃんと桜

「りくちゃんとお別れした日の夜、帰りの車の中から見た満開の桜が忘れられんで。真っ暗な中に桜の色が映えて、すごくきれいで。悲しいはずなのに、きれいだな、りくちゃんに見せてあげたいな、とか、いろんな気持ちが渦巻いてた」

松丸は看護師として、またにこりを始めてからも、たくさんの患者さんやお子さんとそのご家族を見守ってきた。けれどその男の子、太田りくとくんの最期とそれを見送るご家族の雰囲気は、それまで感じたことのないものだった。その不思議なほどに穏やかな光景を、あの夜に見た桜とともに、4年経った今も忘れられずにいる。

りくちゃんと桜

りくとくんは、2015年12月に生まれた。太田貢輔さんと茜さん夫妻にとって、はじめての子だ。茜さんは、つわりがひどく2か月で5キロ以上体重が落ちたことや、産後は1時間おきの夜泣き対応で、とにかく一日中眠かったことなどを話してくれた。

すこし大きくなったりくとくんは、電車が大好きで、人懐こい笑顔がかわいらしい男の子に成長した。それから特技はダンス。一歳くらいの頃には、幼児向け番組のDVDを観せるとすぐに振り付けをおぼえて踊っていた。その様子を見て「天才かも…って思いました」と、茜さんは笑う。

りくちゃんと桜

りくとくんが10ヶ月くらいの時だ。茜さんは、ハイハイをするりくとくんが息切れしていることに気づいた。しかし、「遊び疲れてはぁはぁしてるのかなって」それほど深刻には捉えなかった。
そうして一歳の誕生日を迎え、もうすぐ年末という時にりくとくんが発熱する。「病院がお休みになる前に連れて行こう」と小児科を受診し、風邪と診断された。しかし、薬を飲ませているのに翌日になっても良くならない。
「むしろ悪化してるっていうんですかね。呼吸もおかしくなってて」
再度診察した医師は「大きい病院で診てもらいましょう」とすぐに紹介状を出してくれ、その日のうちにバタバタと別の病院へ。そこで胸部の検査をしたところ、胸水がたまって片方の肺が潰れたような状態になっており、それが原因でうまく呼吸ができなくなっているということがわかった。

「今すぐ福岡市内の大学病院へ行ってください、って言われて。わたしとりくちゃんだけそこから救急車に乗って行って、到着したら先生に今から処置しますって言われて、何がなんだかわからないけどとりあえずお願いします、ってりくちゃんを引き渡して。次会った時には、もうICU(集中治療室)で管まみれになってました」

医師から病気についての説明を受けたが、年末年始のために詳しい検査ができず「おそらくこの病気でしょう」ということで抗がん剤を使った治療を受けることになった。もしかしたら正月の間に急変して亡くなるかもしれない、とも言われたという。
ICUは家族の付き添い入院ができない。自宅のある八幡西区から駆けつけていた貢輔さんと茜さんの両親と、四人で帰るころにはすっかり深夜になっていた。帰りの車内で、茜さんは一人でおいてきた小さなりくとくんを思いながら、これからどうなるんだろうという不安で涙がとまらなかったそうだ。

りくちゃんと桜

りくとくんの病名は「横紋筋肉腫(おうもんきんにくしゅ)」。筋肉などの軟らかい組織から発生する悪性腫瘍(がん)で、がんが発生する部位に腫れや痛みなどの症状が起こる。0歳~9歳までの子どもに多く見られる病気だが、りくとくんのように縦隔(左右の肺に挟まれた、体の中心部分)に発生するのは非常に珍しいのだという。病気が判明した時には「ステージ4」とされていたが、幸いにも抗がん剤が効いて、りくとくんの症状は順調に改善した。ICUから小児病棟の個室に移ってからは、付き添い入院ができるようになった。
はじめは看護師さんが来るたびにぐずっていたりくとくんだったが、そのうち自分から「はい!」と腕をさし出すようになったそう。「まだ小さいのに、すごいですよね」茜さんはわが子のたくましさに驚いたという。
「抗がん剤の副作用で吐いたりぐったりすることはあったんですけど、まだ幼くてよくわかってないからか、基本的には元気でした。先生も『がんばって治しましょう』『絶対治します』と言ってくれたし、がんばろうね、っていう感じでした」

通院治療へ切り替わり、放射線治療を始めた頃から、徐々にりくとくんの様子が変わっていった。
「体に負担がかかって弱ってきてしまって。途中からもう咳も止まらなくなってきて、ベッドでもずっとぐったりするようになってて」
それでも茜さんとご家族は、治療を続けていけばきっとよくなると信じ、りくとくんの治療に付き添っていた。

りくちゃんと桜

しかし二歳の誕生日を迎えたころ、状況が一変する。りくとくんのがんが、脳に転移していることが判明したのだ。
「治しましょう」と言ってくれたはずの医師から「治療を続けるのは難しい」「余命は1か月ほど」と告げられた時、茜さんは悲しみよりも怒りを感じたという。
「なんで?ありえん!」「治るって言ったのに!」「なんで転移するん?」
「りくちゃん、痛くても苦しくてもがんばってきたのに、これから死ぬだけなん…?」

医師からは「どこで看取るか」という話もされた。
このような場合、病院での看取りを選ぶ人がほとんどだという。けれど茜さんたちは自宅での看取りを選んだ。
「その時期のりくちゃんはもう、看護師さんとかが入って来るたびにぎゃーぎゃー泣いて、咳が出て息ができなくなるような状態だったので、もう連れて帰ろうって。家には先生とか看護師さんもいないわけだから、何かあったときどうしよう、怖いなあっていうのはありましたけど、りくちゃんの安心のためやったら家に帰ったほうがいいと思ったんです」