A Story of
Smiles = Nicori

vol.4 「りくちゃんと桜」後編

そんな時、病院から紹介されたのが「にこり」だった。茜さんは、はじめて松丸に会った時の印象をこう語る。

「まず、すごく明るいんですよね。りくちゃんへの接し方を見てても、楽しませてくれそうっていうか。いちばん病状が良くない時に新しい人たちにバトンタッチして大丈夫なんだろうか、って不安はあったんですけど、にこりさんと話をしたら、よく看取れそうだなって、そんな風に思えて」

りくちゃんと桜

こうして、にこりが訪問看護に入ることとなり、りくとくんの新しい生活が始まった。

「それまで家族三人で住んでた家を引き払って、私の実家で暮らすことにしたんです。夫も職場に『子どもの介護が必要になるから、最後まで一緒にいたいから』と、仕事を休んでつきっきりで見てくれて。私、夫、おばあちゃん、おじいちゃん、ずーっとみんなで朝から晩までかわりばんこで抱っこして、りくちゃんを床に置くことがないっていう。ギネスに載れると思います(笑)」

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訪問に入った最初の頃のことを、松丸はこう振り返る。

「りくちゃんは医療者を怖がっていたので、はじめは黒子のようにして、姿が見えないようにしながらそーっと点滴のバッグを換えたりしていて。どうしたら懐いてくれるかなって、医療用のグローブに似顔絵を描いて話しかけてみたら、その絵が思いのほかりくちゃんのパパに似てて(笑)そんなことをやってちょっとずつ、心を開いてくれたと思う」

りくちゃんと桜

りくとくんはずいぶん元気になり、取れなかった食事も食べられるようになった。好物は、チャーハン、あんこ、いちご…季節外れのいちごは高かったけれど、りくとくんを喜ばせたくて欠かさず買っていたそうだ。
松丸は、お宅を訪ねた時にしていた「匂い」をよく憶えている。
「夕方ごろに訪問に行くと、いつもおばあちゃんがつくる料理の美味しそうな匂いがしてた。そのいい匂いを嗅いでたからかな、りくちゃんまったく口からごはん食べてなかったのに食べられるようになって、亡くなる少し前までチャーハンとか食べてた。私、これは病院ではできなかったなと思ったんよね。病院だとリスクのある状況ではなかなか『ごはん食べましょう』とは言えないだろうし、家族だから食べさせられるっていう。あれはね、医療の力じゃない。家族の力だと思う」

りくちゃんと桜

りくとくんが徐々にうちとけてコミュニケーションがとれるようになると、あれがしたい、これがしたいと言ってくれることが増えたという。
「最初は『電車が見たい』と言うので、近くの安全に見られる場所まで一緒に出かけて帰ってくる、ってことをやってみて。それから『プラレールが見たい』と言われて、岡垣のデイサービスの床一面にプラレールを敷きつめてプラレールデイをしたりとか。『消防車が見たい』っていうのもあったな。あの時は、にこりっこのお父さんの消防士さんにお願いして、他のにこりっこたちも一緒に消防車に乗せてもらって…」

わずか二か月間の出来事とは思えないくらい、松丸の口からはとめどなく思い出話が飛び出してくる。

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中でも茜さんの心に残っているのが、りくとくんが大好きなキャラクターのテーマパークに行けたことだ。
「テレビのCMで、テーマパークで期間限定のロードトレインに乗れる、っていうのが流れたんですよ。それを見てなんとなく『これ乗りたい?』って聞いたら『うん!』って。連れて行ってやれないのに軽はずみにそんなことを言ってしまった、という話を松丸さんにしたんです。そしたら数日後に『行けるよ』って…」
にこりを立ち上げのときから取材してくれている記者さんの取り計らいで、施設にこの件を相談することができ、(開館中は人が多く感染症のリスクがあるため)閉館後に招待してもらえることになったのだ。

大好きなキャラクターたちが、「りくくーん!」と手を振ってくれたり、従業員の方たちと一緒にショーを見て踊ったり、記念撮影をしたり。念願のロードトレインにも乗ることができて、りくとくんは大喜びだったそう。
「従業員の方たち、閉館後なのにたくさん残っていてくれて、こんなにしてくれるんだ…って感激しました」

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松丸は、りくとくんの気力の回復は「医療の力ではなく家族の力だったと思う」としながらも、やはり医療の力なしでは、りくとくんの希望を叶えてあげられなかったとも考えている。
「りくちゃんを一緒に診てくれていた診療所の川本先生、いい先生だったなーって思うのが、あの状況で『出かけたい』って言ったら、やめたほうがいいとは言わず、出かけられるように、出かけた先でちゃんと楽しめるようにって痛みのコントロールを上手にやってくれた。にこりと一緒に活動している荒木先生もそうだけど、医師は常に知識や技術をアップデートしてて、医学的根拠に基づいてアドバイスをくれる。にこりの活動は、こういった医師との信頼関係があってこそだなと思ってる」

りくとくんが亡くなったのは、それからすこし後のことだった。余命一か月と言われてからおよそ三か月が経っていた。

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「その日、夜10時すぎくらいに『亡くなりました』って電話があって。にこりチームですぐにお宅に伺った。家族みんなが集まってる中、リビングにベビーバスを置いてお風呂に入れたんよ。私が頭を支えてたら、りくちゃんの顔を見たママが『りく、笑ってるね』って言って。みんなで『気持ちいいねー』って声をかけて。お風呂上がって、七五三用に準備してた着物を着せてあげて。そういう時間を過ごして、なんかね、はじめて見る送り出し方だなって思ったん。不思議なくらいほのぼのとした雰囲気で。それはなぜなんだろうと思った。なんでこんなに穏やかなんだろうって」

茜さんは言う。
「覚悟ができてたっていうのはあるけど、してあげたいことを結構してあげられたんですよ。それまで夫は激務で、ほとんど一緒にいられなかったのがいつも一緒にいられて、家族みんなで過ごせた。たくさん甘えさせてやれた。それに“楽になってよかった”っていう気持ちはいちばん強かったかもしれません。最後の三日間くらいはもう、きついからモルヒネを打ってもらって、ほとんど眠らせてたんですよ。そのへんがちょっと本当にきつそうで。こんなにきついんやったら、もう楽になっていいんだよ、天国にいっていいよ、って。亡くなった瞬間はやっぱり泣いてしまったけど、すぐに『楽になったね』『よかったね』って、家族みんなそんな感じでした」

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松丸は、りくとくんの人生にふれた人たちの反応に、気づかされたことがあるという。
「テーマパークに行った後、お礼の手紙を書いたんやけど、そのお返事で、施設の人たちが『今までやってきた中でいちばんいい仕事をさせてもらった』と言ってくれてたことを知って。りくちゃんってこんなに多くの人の心を動かす存在なんだと思った」

りくとくんを喜ばせたいと、たくさんの人が関わってくれた。いつのまにか、喜ばせたいと思った方も一緒になって喜んでいた。りくとくんと喜びを共有できたことが、家族やにこりだけではない、たくさんの人たちにとって、とても豊かであたたかな思い出となっているのだろう。

りくとくんを見送った時の光景は、その後もずっと松丸の中に残っていた。あの穏やかな空気の理由はなんだろうと考え続けていた。
それからしばらく経ち、出会ったある医師に言われた。
「医療者って亡くなる直前のことを後悔しがちだけれど、それよりも、そこに至るまでの時間に何ができたか、どう過ごせたかのほうが大事」
その言葉が、すとんと腑に落ちた気がした。

毎年、桜を見るたびにあの日のこと、りくとくんのことを思い出して思いをあらたにする。
誰にも終わりは訪れる。それまでに、何をしたか、誰と一緒に、どんな風に過ごせたか。
短い人生だとしてもきっと、豊かに幸せに生きることはできる。
願わくばそのかたわらににこりがいて、お手伝いができたら、と。

今年もさくらがきれいだよ、りくちゃん。